授業で『トゥルーマン・ショー』見たよ。

恐ろしさと滑稽さは紙一重という話。どちらも日常を逸脱した行為には変わりない。
しかし、こういう入れ子構造は失敗するとぐだぐだになってしまうが、成功すると(映画の場合は)見ている自分、ひいては自分たちが存在している世界そのものも構成されている入れ子構造の一部だと錯覚、そこまではいかなくともちらと考えさせることが可能なため、ある種身近なものとして映すことが出来る。
そのためには、作中でも言われているが“リアリティ”こそが重要だ。ただリアリティといっても、リアリティ、というより実際的な“リアル”と、エンターテイメント的なリアリティがある。どちらが良いというわけでもなく、問題はその媒体が何かということ。目指す方向性ともいえる。